皆川榮治のニュースレター 第078号2014年2月1日
news_field 親日国台湾

 台湾でお付き合いされる日本人の多くは台湾が親日国であることを感じられることが多いと思います。これにはいくつもの理由がありますが、特に台湾には日本統治時代を評価する人が多く、その結果として親日家が多いことに繋がっていると言えます。
 台湾で仕事をする日本人はこの間の歴史的な背景を知っておくことは非常に大切で、台湾での仕事をスムーズに行うには是非理解しておくことが必要です。

 今日は台湾が親日国となった理由について要点を紹介します。
 最近、私は日本統治時代に活躍した吉次茂七郎(よしつぐもしちろう)と言う人の功績を初めて知る機会を得ました。吉次茂七郎は福岡県出身で1914年に名古屋高等工業学校(現在の名古屋工業大学)を卒業し、台湾総督府鉄道部に奉職した技師であり、のち宣蘭鉄道工事監督者に就任、宣蘭県三貂嶺隧道及び草嶺隧道の二つのトンネル工事に従事し、1924年10月9日の完工を前にマラリアに罹り1923年1月17日に亡くなっています。総督府は工事完成後、吉次技師の功績をたたえ記念碑を建て、統治時代には毎年命日に慰霊祭が行われていたと伝えられています。八田與一技師が烏山頭ダムを完成させたのは1935年ですから、これより10年前のことになります。戦後この記念碑は壊される運命にありましたが、住民の手で守られ残されました。一部壊された部分も今は修復され「台湾東北角及び宜蘭海岸国家風景区管理処」が管理しています。この草嶺トンネルは全長2167メートルの当時アジア最長のトンネルだったそうで、台湾では20年前、鉄道の複線化に伴い一次閉鎖され、忘れ去られていましたが2008年には新しくサイクリングロードとして復活し使用されており、記念碑も守られています。
 このように日本統治時代の鉄道、電力、上下水道、治山治水等のインフラのみならず、米や砂糖等の農業・産業振興及び医療や教育制度の充実を、台湾の人々が享受しました。
 しかし、台湾の方々も戦後すぐには祖国復帰を皆喜び、国民党政府軍の統治に期待したですが、新しい国民党政府軍が金権政治等の腐敗にまみれたことや日本色を一掃した(日本語や台湾語を公に禁じた)ことによって、日本統治時代の方が良かったとの現実に直面しました。更に約40数年間政治的に抑圧されたのち、1988年になって民主化の時代を迎え、政府自体が日本統治時代に台湾の国家建設がなされたとの見解が広く示すことになり、台湾人は親日の度を強めていきます。
 私の知る限り、朝鮮や満州でも庶民の間では日本時代が良かったとの意見を持つ人が多くいましたが、その後の統治者が植民地時代は日本の収奪時代であったことを伝え、反日思想を広めたことにより、庶民は口出し出来なくなったという現実があります。 
 この様な政治的な流れの中で、台湾では親日家が多くなり、産業面での交流ばかりか


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