皆川榮治のニュースレター 第053号2009年2月24日
news_field 最近の台湾の話題ほか

 拝啓 ご無沙汰いたしておりますが、お元気でいらっしゃいますか?
 台湾の今年の正月は9連休が続き、結構寒かったのですが、今は(2月24日)すっかり暖かくなって来ました。台北から少し離れた烏来や陽明山では桜祭りが始まっています。
 さて、日頃のごぶさたのお詫びとごあいさつを兼ねまして、台湾を取り巻く近況と近頃考えることなどをご報告させていただき度く存じます。

 台湾ではこの8月-10月にかけて「海角七号」と言う映画が大変ヒットしました。5億3千万元の収入(約16億円)を挙げたそうで、台湾映画史上第2位の興業成績を挙げました(因みに、従来のトップは「タイタニック」)。
 大変良い映画でしたので、先ずストーリーを簡単に紹介いたします。
 63年前、日本が敗戦で台湾を放棄して多くの日本人が内地に帰還することになった時代のこと。引き掲げ船に乗った一青年教師が好きだった台湾の一少女に宛て内地までの航海中にその思いを手紙に綴るのですが、帰国後投函できないまゝ月日が経ち、60年を経て、青年教師の死後、その娘がこれを見つけ、何とか父の思いを相手の女性(日本名“友子”と言う)に届けてあげたい、と手紙と若い頃の友子の写真を木の箱に入れ昔の住所に送ります。
 受け取った郵便配達人(ミュージシャンでもある)が宛先住所が現存しない表記であることや、個人の諸々の都合で配達できずに放置することになるのですが、日頃近い関係にありながらそっけない態度ばかり取り合っていた日本人女性(音楽プロデューサーでこの女性も同じ“友子”と言う)から、この手紙は大切なものだから、必ず宛先を探し出して届ける様言われ、素直になった配達人であるミュージシャンがやつとの思いで現在の住居地を見つけ出し、何を置いても届けようとオートバイを飛ばします。
 昔の友子さんはすでに80才くらいのお年寄りになっており、手仕事をしている後姿だけが見えるのですが、配達人はそのおばあさんの横に昔の宛名(海角7番地XX友子様)の書かれた郵便物をそっと置いて立ち去ります。
 一方、配達人と現代の友子とは音楽の仕事を通しての触れ合いやこの間の経緯を通して、互いに好き合っていることを確め合うことになります。
 63年の前の日本人男性と台湾人女性。更に現代の台湾人男性と日本人女性の2組の恋が一方は全篇を通して男性の声による手紙朗読のみで語られ、もう一つの恋は現代のにぎやかな台湾社会でロック演奏会を創り上げて行くドタバタの中で、だんだん本物になって行く様が映し出されて行きます。2つの恋の流れを見ながら観衆は人生の楽しさや活発さと共に人生のもの悲しさや懐かしさを併せて感じさせられるのです。
 50年にわたる日本統治時代への好意と共に、現代の若者の80%が第2外国語に日本語を選んでいる台湾だからこそ、この様な映画が人気を呼ぶのだと思います。すでに台湾ではDVDでも見られますので、推定400万人の人が観賞していると言うことです(人口2300万人ですから、そのうち約17%)。
 いずれ日本でもDVDが発売されるのではないでしょうか?どうぞぜひご覧になることをお勧めいたします。
 尚、この映画は昨年11月末頃中国では上映禁止になりましたが、つい最近(2週間ほど前)解禁され、上映許可になったそうです。日本と台湾の距離がより近く感じられることは好ましくないとの観点から禁止した様ですが、解禁された理由は明確ではありません。すでにDVD(海賊版)が出廻っており、抑え様がない上、抑えたら逆に日本と台湾の関係を人民に知らせる結果になりかねないと判断したのではないでしょうか?

 さて、もう一つ続けて映画の話で恐縮ですが、日本で近々上映されると聞いているのですが、虫プロダクション製作の「パッテンライ」と言う映画があります。日本ではもうすでに上映されたのでしょうか?約1時間半の長編アニメ日本映画です。
 今から16-17年前、台湾で李登輝元総統が一著作の中で紹介したのですが、台南と嘉義の間にある嘉南大?と言う平野にダムと水路をつくり、それまで毎年の様に台風、水害で収穫を流されていた農民がすっかり安定収穫できる様になったと言う事実があるのですが、これをつくったのが若干31才でこの事業を始めた八田與一(以下与一と書く)という総督府付きの日本人技師でした。このダムの完成は昭和5年(1930年)のことですが、李登輝さんの紹介で始めて日本人にも広く知られるようになったのです。
 昨年4月、私の母校(神戸高校)の同級生が10人訪台し皆で新幹線に乗って高雄まで旅行しましたが、その帰りに足を伸ばし、この烏山頭ダムを訪ね、美しい湖の景色をながめ、八田与一の銅像と記念館を見学して来ましたが、私も約20年ぶりに見てあらためてその偉業に驚きました。
日本統治時代と言うのは1895年から1945年までの50年間ですが、この工事の開始は日本統治が始まって23年目のことです。東京帝大を出た土木技師が台湾総督府に下水道普及の任務をおびて台湾に派遣されました。
下水道工事に関し、全島を調査しているうちに嘉南大?の毎年の被害を知り、調べた結果、烏山頭と言う山合いにダムをつくり、その下流の平地に水路をつくれば水害を防ぐことができると考え、烏山頭ダム建設計画を作成し、総督府に提案したのです。初めはその予算の大きさに総督府も驚き否決したのですが、あの頃の日本政府も太っ腹な人がいたのでしょう。2年目に許可がおり、調査・施行が始まるのです。もちろん日本から他の技師達も来ましたが、工事の実際は台湾人人夫を使ったもので、総工費5,380万円、着工以来11年間かかって東洋一のダムが完成します。もちろんことばが通じない間柄でしたが八田は台湾人を良く指導し、11年の歳月をかけこれを完成したのです。
そのお陰で、以後水害はなくなり、毎年豊作を続けることができ、村人達は八田与一を恩人として尊敬し、銅像までつくってムダのかたわらに設置したのです。
ところが、昭和17年(1942年)八田は政府の要請でフィリピンに土木調査に向かう途中、乗っていた輸送船がアメリカの潜水艦に撃沈され、戦死を遂げます。
その後、八田与一の銅像は折からの軍による金属徴収を逃かれる為、農民達がこれを人目のつかない所に隠しますが、戦後も国民党政府の日本語をはじめとする日本色払拭の時代であった為、農民達はこの銅像を隠し続けます。が、時代も安定した頃をみはからって、再び陽の目を見ることになり、その後は、毎年5月8日の八田与一の命日には村民達が集まって、供養をし続けています。それ程台湾の農民達が八田与一を敬愛していると言うことです。
なお、もう一つ忘れてならないのは八田技師の奥様のことで、昭和20年8月終戦と共に日本(人)は全て台湾を離れることになりますが、ご夫人(外代樹<とよき>さん)は自分の一生は夫と共に過ごしつくったこの烏山頭ダムにあり、夫の霊だけを残してここを離れられないとお考えになったのでしょう。終戦から半月後の9月1日日本には帰らず、夫のつくったムダのふところに帰って行かれました。
このお話を聞き思う度に、私は涙を禁じ得ないのですが、美しい亡くなられ方だと肯定するのは私だけではないでしょう。
話の前段が長くなりましたが、この八田与一のムダ建設工事物語をアニメ映画化したのが「パッテンライ」です。「八田来了」と言う中国語を台湾語読みしたものです。どうぞ日本で上映が始まりましたらご覧下さい。
虫プロダクションの社長のお話では資金が不足しており苦労しているとのことでしたので、上映はもう少し先きになるのかも知れません。

最後にもう一つご報告したいことがあります。それは1月20日の米新大統領の就任演説についてです。
この演説は日本では大変評判が良くCD付きの演説等が発売され、大変売れているそうです。NHK解説者のお話ではオバマ大統領の演説が人気のある理由として次の3つを挙げています。
分かり易いことばで話している、繰り返し同じ要点を強調している、初めに話した要点を終わりに結論としてもう一度強調する。
このやり方が多くの人に受け入れられる理由だと話していましたが、私はこれを聞いて  その通りなのだろうと同意もし、さすがに良く分析していると感心もいたしました。しかしこれは演説の技術的な方法論の問題であって、多くの人の心を引きつける最大の理由は他にある、と私は考えています。話し方のテクニックが日本人の心をつかんだとは思えません。
私は実は出張先の新竹で1月21日の夜中、2時頃まで起きて全てを聞きましたが、名演説と言うにはドラマティックな表現はなかったが、良い話をされたなと感じたものです。
それで23日家に戻って、新聞の日本語訳を詳しく繰り返し読んでみて、次の様な結論を得、「オバマさんの演説は教育勅語だ」と家内に話したものです。つまり、現在の米国や世界が直面する危機的状態から脱却し再生する仕方を強調する過程で、日本人が久しく忘れていた生き方に関する理念や道について、強く訴えているのです。これが日本人にとっては新鮮にうつるのだと思います。
つまり次の様な組み立てです。
「現在の米国を取り巻く環境は危機のさなかにあり、経済危機と共に米国は戦争の真っ只中にある。これを克服し再生する為、雇用創出、科学、医療技術を活用し、変草する。市場の監視を強め、意欲ある個人の機会を拡大すると共に地球温暖化防止に努力する。
米国は平和と尊厳のある未来を求めるすべての国、すべての人に対して友人であり、我々が指導的立場に立つ用意があることを言いたい。    
国家間の一層の協力や理解を強め、テロを起こし罪のない人々を移して目的を達成しようとする人たちを打ち破ろう。反対者への抑圧を通して権力の座にしつかみついている者は誤っている。あらためるなら助けよう。我々と同じく富んでいる国に対しては国境の外で苦しんでいる人々に無関心でいることはもうできない。結果を無視して資源を浪費し続けることは許されない、と伝えたい」、と語り、現在の危機から再生しなければならない、との形而下の方向性を打ち出しています。
その一方で、その為に必要な心がまえや理念の重要性を訴えています。
「全ての人間は平等かつ自由で最大限の幸福を追求する機会が与えられるべきだという神の与え賜う約束を追求すべきときが来た」
「今このとき、はるか遠くの砂漠や山岳地帯をパトロールする。勇敢な米国人がいることを感謝と共に思い出し、我々は彼らを誇りに思う。彼らが自由を守ってくれるからだけでなく、奉仕の精神を体現しているからだ。それは自身よりもより大きな意義あるものを見つけようとする意志である。これこそ我々すべてが持たなければならない精神だ」
「最終的に米国が依って立つのは国民の信念と決意しかない。最終的に我々の運命を決するのは煙に包まれた階段に突進する消防士たちの勇気であり、子供を守り養育に専心する両親の意志でもある」
「我々の成功は誠実、勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠と愛国心と言った価値感にかかっている。求められているのはこれらの真実に立ち返ることだ」
「米国人一人一人が自分自身と米国及び世界に義務を負うことを認識することであり、我々はこれを喜んで引受けよう」

「これこそ市民であることの代償であり、自由と信念の意義である」
「建国の父はこのことばを人々に読むよう命じた。『冬のさなか、希望と美徳だけが生き延びたとき、共通の危機に脅かされながらもその難局に立ち向かう国家が出現したのだ、と未来の人々が語ることができるよう、勇気をもって立ち向かおう』」
「そして我々の子孫に語りつがれるようにしようではないか?『試練のとき、我々は旅を終わらせるのを拒み、ひるみもせず後退することもなかった』と。『自由と言う神からの偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事手渡した』と」
今の時代に生きるべき人々の理念や道を語っているのです。
日本には60年前まで教育敕語と言うのがあり、人の道が明確に示されていましたが、連合国(国連)最高司令官の命により、廃せされてからは、精神的支柱を失ってしまいました。たった1枚の紙に書かれた「親に孝養をつくし、兄弟姉妹は助け合い、夫婦は仲むつまじく、友人は信じ合い、全ての人に手を差しのべ、学問を怠らず、職業に専念し、人略をみがき、進んで社会公共の為に貢献し、法律や秩序を守ることはもちろんのこと、非常事態の発生の場合は国の平和と安全に奉仕しなければなりません」が廃止され、その教育がなくなっただけで、60年たった今、日本人の生き方には統一性がなく、身勝手な生き方がはやる国情になってしまいました。
その様な現代日本人にはオバマさんのメッセージが新鮮で、心にひびくものがあったのは当然と言えば当然です。一人一人の日本人にとって、理由は定かでなくともこの演説から感銘を受けた理由は人の生き方の原点に立ち返って、理念や道について語られたところにあったと私は考えています。

遅い新年のごあいさつになり、また長いお話を書きましたが、お付き合いいただき有難うございました。どうぞご批判をお聞かせ下さい。
2009年が貴家皆様にとって恵み豊かな年となります様心よりお祈り申し上げます。

敬具





新原経営顧問(股)公司